私を育ててくれた人たち、そして次の誰かへ
(2026/10/7)

名だたる先生方がバトンをつないできたこの場所に、今回は私が呼んでいただきました。医師としては、まだまだ駆け出しです。過去の実績で勝負するには、あまりにも手札が少ない。ということで今回は、実績ではなく「これから」に期待していただき、いわば出世払いということで、少しだけお付き合いいただければと思います。
新潟県立中央病院初期臨床研修医
板垣 結人
私にはたくさん師匠がいる
私には、師匠がたくさんいる。
医師としての考え方を教えてくれた先生。小学生との接し方を教えてくれた子ども。虫取りの師匠に、田んぼの師匠。年齢も職業もさまざまだが、私は彼らを心から師匠と呼んでいる。
私が師匠と呼ぶ人たちは、必ずしも何かを教えてくれた人ではない。私の知らない世界を見せてくれた人だ。その人の世界に触れることで、自分の世界が広がり、新しい問いが生まれる。そんな出会いが、今の私をつくってくれた。
人生をかけてやりたいことは何か
私が医師を志したのは、人間の脳や記憶の仕組みに興味を持ったことがきっかけだった。人の体の不思議を知り、その知識を研究にとどめず、診療の中で役立てたい。そんな思いがあった。
ところが、医学部受験に向けて勉強するうちに、いつしか受験そのものに夢中になっていた。医学部に入学してからも、医師として何をしたいのかが見つからず、医学以外の世界に何かないかと探しながら、数年間を過ごした。
転機は、軽い気持ちで参加した新潟県庁の医学生インターンだった。当時の福祉保健部長だった松本晴樹先生に、「君の人生を賭けてやりたいことは何か」と問われた。私は答えられなかった。自分が何のために医師を目指したのかさえ、見失っていたことに気づいた。
その問いを抱えながら、約1年悩んだ。そんな私の背中を押してくれたのは友人だった。以前から、塾講師や家庭教師、サークルでの後輩指導など、人に何かを伝えたり、人の成長に関わったりすることが好きだった。そこで、教育の世界に飛び込んでみることにした。
教えることから可能性を広げることへ

当初は、分かりやすく教えることに関心があった。しかし、実際に教育に関わる中で、私の関心は少しずつ変わっていった。子どもたちに何かを教えること以上に、一人一人が自分の興味や関心を見つけ、それを自由に追いかけられる環境をつくることにひかれるようになったのだ。
子どもたちの可能性を広げるためには、どんな環境が必要なのだろう。考えるうちに、子どもたちを日々見守り、その特性や興味を細やかに捉えている学校の先生方の存在が気になり始めた。一方で、教員の労働環境が厳しく、理想の教育を実現する余裕がないという話も耳にしていた。子どもたちの可能性を広げるには、教員が安心して働ける環境も必要なのではないか。医師として、教員を支えることはできないだろうか。
医師になる前に小学校で働く
そう考えた私は、医学部を卒業した後、すぐに研修医にはならず、十日町小学校で教育支援員として働くことを選んだ。教育現場の実情を知らないまま、教員の働き方や学校と医療の連携について考えることはできないと思ったからだ。
教育支援員の主な仕事は、授業についていくことが難しい子どもたちに付き添い、学校生活を支えることだった。特に印象に残っているのは、感情が高ぶると、すぐに手が出てしまう子どもとの関わりだ。
初めは、怒りをどう鎮めるかに目が向きがちだった。しかし、学校の先生方と話し、その子の行動の背景にある気持ちや考えを探るうちに、相手に怒っているのではなく、自分の感情をうまく扱えないことに怒っている場合もあると気づいた。教育学的な視点から子どもの気持ちや行動を捉える先生方の姿勢と、医学的な知識に基づく特性や疾患への理解。その両方を学びながら、目の前の子どもと向き合った時間は、私にとって大きな学びとなった。
また、子どもとのトラブルへの対応や、学校行事での配慮などを通して、教員の仕事が授業だけではないことも知った。学校には、医療と連携することで解決の糸口が見つかりそうな課題も多い。医療と教育の両方に触れた自分だからこそ、両者をつなぐ役割を担えるのではないか。そう感じるようになった。
医師以外の世界でも師匠がいる
学校での学びは、仕事の中だけにとどまらない。ある小学生は、私の虫補りの師匠だ。「この場所にはこの虫がいる」「この虫は後ろから近づくと捕まえやすい」と、目を輝かせながら教えてくれる。私より18歳も年下なのに、その知識と観察眼には驚かされる。一つのことを夢中で追いかける好奇心に、年齢は関係ないのだと教えてくれた。
田んぼの師匠は、地域おこし協力隊のお兄さんだ。田植えや稲刈りはもちろん、農家として生きることについても教えてくれた。一緒に泥だらけになって作業の準備をし、大汗をかいた後に入る温泉は格別だった。何より、楽しそうに田んぼに向かう彼の姿が心に残っている。自分の仕事や暮らしに心から向き合う人の姿は、こんなにも人の心を動かすのかと感じた。
振り返れば、私の歩みは、さまざまな人に世界を広げてもらうことで形づくられてきた。問いを投げかけてくれた先生、考え方を教えてくれた先生、子どもたち、地域で生きる人々。その一人一人との出会いが、私の進む方向を少しずつ変えてくれた。
今、私が人生を賭けて取り組みたいのは、子どもたちが多様な選択肢を知り、自分のやりたいことや生き方を選べる地域をつくることだ。そのために、医療と教育、そして地域をつなぐ存在になりたいと考えている。
まだ道の途中であり、これからも多くの人に教えてもらうことになるだろう。それでも、これまで私が受け取ってきたものを、今度は誰かに手渡していきたい。誰かの知らない世界を見せ、その人の可能性を広げるきっかけになれたらうれしい。
もしかすると、この記事を読んでくださっているあなたも、私の次の師匠になるかもしれない。
いたがき ゆうと 大分県津久見市出身。転勤族の父に連れられ福岡、千葉と転校を繰り返し、大学から新潟へ。2025年、新潟大学卒。国家試験合格後、2025年4月から新潟県十日町小学校で教育支援員として勤務。2026年4月から初期臨床研修医として上越市の新潟県立中央病院で勤務開始。
次回は、5年次に一緒に医療系学生団体αddventureを創設したメンバーで、卒後柏崎総合医療センターの海外留学枠を選択しボストン大学MPH(公衆衛生修士過程)に進んだ私の最も尊敬する同期の一人である飯田聖(いいだ・たかし)先生を紹介します。
協力:株式会社メディレボ



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