1995年の阪神淡路大震災をきっかけに、日本の災害医療の整備が始まりました。この時点では「一人でも多くの命を救うために」を考えなければならない段階で、「被災者としての子どものケア」はまだまだ後回しでした。その後2004年の中越地震、2007年の中越沖地震で被災した子どものメンタルケアの重要性が注目されるようになります。そして2011年の東日本大震災において、「やっと」小児や妊婦の急性期の問題が注目されるようになりました。
県立新発田病院小児科 長谷川 聡
「ニーズ」をつなぐ大切さ
東日本大震災当時、小児救急医学会のチームが被災地入りした際に「小児のニーズはありますか?」と問い合わせても、「小児に関するニーズはありません」との返答しかなかったそうです。彼らは「小児のニーズは除外されているだけ、見えていないだけ」との信念のもと、改めて探索したところ多くのニーズが明らかになりました。災害弱者と呼ばれる小児や妊婦の声は災害時にはもっと大きな声にかき消されてしまうため、誰かが代弁しなければいけません。その代弁者として、各県に「災害時小児周産期リエゾン」という組織が設置されるようになりました。「リエゾン」とは「仲介、つなぎ」という意味で、災害時に小児や妊婦に関連したニーズを災害チームや行政などに「つなぐ」のがこの組織の役割です。新潟県でも産婦人科医、新生児科医、小児科医、助産師など計29名のメンバーが登録されています。本年1月の能登半島地震でも県庁内にリエゾン本部を立ち上げ、県内の小児周産期関連施設の被災状況などの情報収集活動を行いました。石川県ではこのリエゾンが妊婦や子どもの対応に活躍しました。
避難所に子どもの居場所の確保を
災害時の避難所も阪神淡路大震災の頃と様変わりし、段ボールベッドやプライバシー確保の間仕切り等があるのが標準になりつつあります。そのような中、近年の避難所には「子どもにやさしい空間(Child Friendly Space)」と呼ばれる子どもたちの居場所づくりの必要性も注目されています。災害によって日常が一瞬にして奪われるのは大人だけではありません。子どもたちの心の傷が広がらないうちに、安心して安全に過ごすことができる場所を確保し、遊び場や学びの場などの「日常」を提供することは、食料や医薬品の支援と同様に大切だと言われています。ご興味がある方はユニセフのガイドブックをご参照ください(https://www.unicef.or.jp/cfs/)。
災害時の子どものSOSに周囲の大人がいかに気づくことができるかが問われているのだと思います。
(2024.6.5掲載)
略歴 はせがわ・さとし
1970年 茨城県出身。新潟大学医学部卒。医学博士。佐渡総合病院、長岡赤十字病院、国立循環器病センター、新潟大学医歯学総合病院などに勤務後、2011年に新潟県立新発田病院に赴任。専門は小児科学、小児循環器学。日本小児科学会専門医・指導医。日本DMAT隊員、新潟県災害時小児周産期リエゾン代表。
次回は長谷川先生がDMATや新潟PUSHプロジェクトでともに活動する高橋昌先生(新潟大学大学院医歯学総合研究科 特任教授)を予定しています。
協力:株式会社メディレボ
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