
私は1988年に新潟大学を卒業し、1990年、荒川正昭先生が主宰なさっていた新潟大学病院第二内科に入局しました。荒川先生のお仕事ぶりはすさまじいもので、「睡眠時間は3時間」などといううわさもまことしやかに伝えられていました。「臨床、研究、教育の3本柱は、どれが抜けてもいけない」が御信条で、研究に傾きがちな医局員に対して、ことあるごとに、臨床の大切さを訴えていらっしゃいました。教授回診では眼瞼(がんけん)結膜の観察から膝蓋腱反射に至るまで、お一人お一人に、まことに丁寧な診察をなさいます。60人ほどの入院患者さんを半日で終了することはできません。そのため、教授回診には火曜日と木曜日の2日間の午前中が、充てられていました。第二内科で私は鈴木栄一先生に呼吸器病学を教えていただきましたが、不肖の弟子で、当時のことは何を思い返しても冷汗が出ます。
瀬賀医院 院長
瀬賀 弘行
病院の医師の負担軽減

私が初めに志したことは、「なるべく村上総合病院に迷惑をかけない」ということでした。村上総合病院に勤務したことで、勤務医が、どれほど過酷な仕事を強いられているかを肌身で知りました。「病院の医師の負担を軽くする」ことが医療の継続性を考えた場合、きわめて大事なことだと悟っていました。そのため、私は在宅医療に力を注ぐことにしました。患者さんのご家族、介護士、訪問看護師の力を借りて、なるべく患者さんが自宅で過ごせるような環境をつくることにしました。2000年から始まっていた介護保険制度は、きわめて優れた制度で、ケアマネージャーを中心とした働きにより、お年寄りの在宅療養を容易にしました。
自宅での看取り最優先に

訪問対象の患者さんは、認知症、脳血管障害などで寝たきりの方、そして終末期のがん患者さんです。寝たきりの方には経管栄養や点滴はなるべく控え、自然な最期を迎えていただくようにしています。がん患者さんには除痛の工夫を最も重視しなければなりません。患者さんにとって、ご自宅での生活は、何よりうれしいもののようです。ご家族の介護負担はありますが、それでも、看取りの際、病院へ頼みたいと願うご家族は、ほとんどいらっしゃいません。当院では年間50人ほどの患者さんをご自宅で看取っています。家族を失うつらさは重いものでしょう。しかし、その中にあっても、「そばで看取った」という満足感は大きいように見えます。

村上市岩ヶ崎から瀬波温泉を望む
(2025.3.6掲載)
略歴 せが・ひろゆき
1956年、村上市吉浦に生まれる。88年、新潟大学医学部卒業、新潟大学で内科研修開始。90年、新潟大学病院第二内科入局、呼吸器病学研修開始。94年、新潟県厚生連村上総合病院に内科医として勤務。2005年、村上市吉浦に「瀬賀医院」を開業。
次回は、瀬賀先生が親しくしている新発田市の平塚雅英先生です。平塚先生は新発田市で奥様と一緒に平塚ファミリークリニックを開業しています。下越地区では2015年から医療と介護の連携で情報通信技術を用いたシステム「ときネット」を運用していて、平塚先生は、そのリーダーをしています。瀬賀先生は村上地区の責任者として、平塚先生の指導を受けてきました。忙しい外来診療、訪問診療、警察医などの仕事の一方、医師会メンバーに対して、長く「医療と介護の連携の重要性」を訴えてこられた平塚先生の姿勢に感銘を受けてきました。
協力:株式会社メディレボ
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