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脳の手術について

  • ma-hara3
  • 8月5日
  • 読了時間: 5分

(2025.8.6掲載)

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 私は新潟大学医歯学総合病院で脳神経外科を担当しております。「職業は脳神経外科医です」と言えば,みなさんからは無機質で取っ付きにくい人と思われるかもしれませんが,実際の私は,学生時代所属したラグビー部の学生と今も時々汗を流し、チームで一緒に泣いたり笑ったりすることが大好きです。今の脳神経外科の仲間も実はそういう人間が多く、チームで手術の成功を分かち合い,患者さんも我々も幸せになれるよう、力を合わせて努力しています。


新潟大学医学部脳研究所脳神経外科

大石 誠 教授




 開頭手術のおはなし


  今日は、直接みなさまのお役に立つ話ではないのですが,普段私たちが患者さんに行っている脳の手術、つまり開頭手術についてご紹介したいと思います。開頭手術が必要と言われれば、誰でも「死んでしまうかもしれない!」と恐怖を感じることでしょう。その目的は,事故による頭部外傷や突然の脳卒中など生命の危機一刻を争うものから、生命には影響ないものの、苦しんでいる症状を除去するためのものまで多岐にわたります。しかし、何せ脳はとても硬い頭蓋(ずがい)骨で覆われており、全ての臓器の中でもっとも厳重に守られているといえます。この頭蓋骨を無理矢理開けて、脳を直視して手術を行うのが開頭手術なのです。外科手術の発達の中で,脳と心臓は一般的に侵入してはいけない「未開の地」でしたが、実は紀元前のエジプト文明でも、生前に人為的に開けた痕跡のある頭蓋骨やそのような記述がポツポツと見られ、14世紀のインカ帝国の遺跡からは、このような頭蓋骨がほど,穿頭器具らしきものとともに出土しています。狩りや戦争による外傷もさることながら,精神疾患やてんかんなどの病気に対して呪術的に行われていたともされており、近代解剖学が十分に発達する以前から、精神においても脳が重要であることが知られていたことになります。1800年代になると、腹部などの臓器に対する手術方法が次々に確立されていきましたが,開頭による脳の手術に関してはさらに100年がかかり、1900年代になって北米でようやく科学と解剖学に基づいたきちんとした開頭手術が確立され、いちかばちか、賭けのような手術から成功率の高い手術へと急速に発展していったのです。それからさらに100年、現在は高解像度の映像技術やコンピューターによる支援機器、精緻な手術器具など、テクノロジーの進歩によりめぐまれた環境で安全に開頭手術ができる時代になったのです。



 近代脳神経外科発祥の地・新潟


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 日本において、外科分野の中から脳神経外科という分野をきちんとしなければならない、と決意し,それを成し遂げたのは,実は私たち新潟大学脳神経外科の初代教授であった「中田瑞穂(1893-1975)」先生なのです。つまり,私たちの教室の「脳神経外科」の看板は,日本で最古のものなのです。私達のもとには、中田先生が多くの脳疾患の患者さんを手術で救うことができずに苦悩し、1920年代に単身アメリカで武者修行をされ,日本における脳の病気の手術方法を一つ一つ克服していった痕跡を数多く目にすることができます。アメリカでは長時間の手術にたった一人居残って熱心に観察していた中田先生に、執刀の教授が「肩につかまっていいから良くみなさい」と言ってくれたというエピソードがあり、どれだけの姿勢で学ぼうとされていたのかが伝わってきます。そして、帰国後の手術では,その一つ一つを丁寧な記録や、思いを込めて描いた鉛筆画で残されています。2025年現在、私たちは先人達の経験と知識の蓄積と、進化し続けるテクノロジーのおかげで、脳外科医の育成にも昔のような激しい徒弟制度はなくなってきたように感じます。しかし、どれだけ技術が進んでも、やはり人間の身体、特に脳という組織を相手にするには、いまだに予想もできないことが起こる可能性はあるのです。このような時代だからこそ、もう一度先人達がどのような気持ちで、どのような姿勢で、脳の手術という普通の感覚では圧倒的に成しがたい挑戦に取り組んでいたのかを改めて考えるべきだと感じています。新潟では、日本で一番といえるお手本として、中田瑞穂先生の存在がある、ということなのです。

 

 

 真夏の開頭解剖実習


 毎年8月、新潟大学では学生実習での解剖にご献体くださる方々のご協力をいただきまして、2日間だけ若手脳神経外科医対象の開頭手術の実習をいたします。今年もその日が近づいて来ました。若さあふれる多くの脳外科医たちが、より多くの知識を吸収すべく、たった2日間のために準備万端で、当日は真夏の暑さに負けない熱気で実習をするのです。中田瑞穂先生がお亡くなりになって今年でちょうど50年、これからも新潟の地で次世代の脳外科医たちが高い技術を提供していけることを中田先生にご報告できるよう、私も精いっぱいの指導をしつつ、かつ自分もしっかり勉強させていただこうと思っているのです。

    

 ラグビーの学生たちと記念撮影する大石誠先生=前列右から4番目
 ラグビーの学生たちと記念撮影する大石誠先生=前列右から4番目

                                


【略暦】おおいし まこと 1971年生まれ。埼玉県立浦和高校、新潟大学医学部卒業。新潟大学脳神経外科学教室入局後は,長岡赤十字病院、西新潟中央病院、トロント小児病院などで研さん。脳神経外科領域では血管内治療以外の全ての分野を担当。2023年から現職。

 次回は、国立病院機構西新潟中央病院てんかんセンターのセンター長である福多真史先生です。この「てんかんセンター」は、新潟ではもちろん唯一ですが、実は国内でも数少ない「てんかんセンター」なのです。福多先生は、私も脳外科医としていろいろな刺激をいただいた方で、治療に関するアイデアをたくさん持っている先生です。

協力:株式会社メディレボ










 
 
 

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